スクールバス運転業務委託等事業費

今回は学校教育関連事業のうち、特別支援学校の児童生徒たちの為の、スクールバス運転事業委託等事業費についてです。この事業も開始年度の記載はありません。
個人的には、今のような行政事業で対応するのではなく、規制緩和や規制改革を行って、民間企業の送迎バスを利用したり、ライドシェアを活用することで、送迎体制の強化・複数手段化を行い、加えて尼崎市内の経済活性化もできるのではと思います。
加えて、この事業の成果報告では「人工呼吸器を使用している児童」を専門の医療スタッフの介助にもと、介護タクシーで送迎したとあります。何の為の療養児等学習支援事業費なのでしょうか。
ここでも結局「学校という箱」に囚われて、本来の目的である「学習するため」の対策がなおざりにされていると感じました。

重度の医療ケアが必要な児童を通学させる?
この事業の目的には、「児童等の安全かつ効率的な送迎体制の充実を図る為~中略」とありますが、最後に「人工呼吸器の使用等、重度の医療的ケアを必要とし、スクールバスに乗車できない児童等については介護タクシーにより送迎を行う」とあります。
そんな状態の児童を家から連れ出すことが、安全かつ効率的なのではないでしょう。療養児等学習支援事業費にあるタブレットやPC端末を、その児童の家庭に設置することで、「通学」回数を減らしたり、場合によっては教職員が訪問して授業を行うなど、ほかに方法がいくられもあるでしょう。
ましてや、実施内容には「保護者の負担軽減を図る」とありますが、通学の為に準備をする手間や時間が無くなることは、十分な負担軽減ではないでしょうか。
ここでも、保護者を含めて「学校という箱」に囚われすぎており、本体は児童生徒たちの学習機会を提供する為に、通学するのであって、通学自体が目的はないはずです。

通学する生徒や家族の満足度は
この事業の目標指標は例によって、数値的な記載はなく、事業成果にはただ継続します、新し送迎バスを買います、との記載しかありません。
本来事業の目的にあった、安全かつ効率的な送迎体制を達成したのかの記載がありません。
安全というなら、送迎中の事故・医療的な事故・家族からの感想・送迎を担当されたスタッフや教職員の感想や反省点などについて、記載があってしかるべきです。
また、効率的というなら、消費したガソリン代・送迎時間等の集計結果などを記載して、「前年度よりこれだけ効率化できました。」と書くのが民間企業では常識です。
しかし、この事業成果には、通学する児童生徒・家族の満足度の調査結果すら、記載がありません。これではただ、決まった事業費(税金)をこうやって使いました、と報告しているだけです。
真摯に児童生徒たちの安全かつ効率的な送迎や、保護者の負担軽減に寄与したいう意識が感じられません。

もっと民間活用を、「箱」に囚われるな
事業費を見ると、年々事業費の総額が増加しています。これは少なくとも「効率的」に送迎がなされていない証明と言えます。効率的であれば、少なくとも前年度と同じか、もしは横ばいであるハズであり、増加してもそれは燃料費の高騰分のみのハズで、それらは事業成果に記載できる内容のハズです。
このことからも、今のような事業では、ただ事業費という税金が増えていくだけで、何一つ、児童生徒たちの安全や効率的は送迎には繋がっていない状態であることがわかります。
尼崎市内には、送迎バスを所有している民間企業も多く、それらの企業は当然、自前の送迎バスを所有していると思います。それらの送迎バスを活用して、特別支援学校の児童生徒の送迎を行ったり、場合によっては、その民会企業の社員と支援学校の児童生徒たちが、同乗して出勤・通学する機会を設けることで、企業の社会貢献をうながし、尼崎市が目指ざす「多文化共生社会」へのキッカケを作ることも可能ではないでじょうか。またライドシェアについても、民間の中には、福祉車両として登録されている車を所有している方もいるでしょう。その方々が、自身の家族を介護する合間や、その家族が亡くなられたために、福祉車両だけが残っている場合などもあると考えるべきです。その空いている福祉車両を登録制にするなどして、活用したりすることも可能です。
また、医療機関に勤められている、医師・看護師・介護ヘルパーの方々に限定することで、彼らが運転する車を使って、通学することも可能ではないでしょうか。
特別支援学校の児童生徒たちに、税金を使うなとは言いませんが、もっと民間活用を促すような政策や体制を作らなければ、現状では税金を使うために事業を拡大するだけで、結局、児童生徒のためにはならない制度や体制になってしまうのではないか、と懸念しています。
そして何よりも問題なのが、なにがなんでも学校に通学させるという、「学校という箱」に囚われている、関係者ばかりであるということです。それは児童生徒たちの保護者も同様です。
せっかく技術の進歩で、通学しなくても、学習する方法ができつつあるのに、それを活用することが可能な事業も始めながら、それらをうまく総合的に活用できない現状は、子供たちを不幸にしてしまっている。それも大人の善意の結果として。
そのように個人的には思いました。


